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Category Archives: 散歩と写真

8月1日

今日は親愛なる友について語ろう。

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今から34年前の今日、彼が生まれた。

出会いは留学先のサンディエゴ。

友人を介して仲良くなり、多くの時間をともに過ごした。

海外で出会う同い年くらいの友達が心を打ち解けあうのに時間はかからない。

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同じときを過ごすことで人はお互いの中にかけがえのない何かを見つける。

彼にあって自分にないもの、そんな部分に魅かれたのだと思う。

今思い返せば、彼はとても頼りにできる友だった。

お互いを尊敬しながらも、けなし合える仲だった。

男には、日頃の悩みや寝た女の話、将来への夢などを共有することで単なる友を越えることがある。

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知り合って4年が過ぎた頃、おれはアメリカ帰国間際に白血病になった。

それを知った彼はホスピタルの病床に青い顔をして飛んできた。

「大丈夫?」

とひと言だけ発するなり、ボロボロと、本当にボロボロと涙を流した。

おれは心配させたくなかったので人前で泣かないことに決めていた。

その分まで彼が涙を流してくれているかのように泣いていた。

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本格的な治療のため日本に帰国をした後は、通院の日々で忙しくなった。

彼も帰国後に就職をして、そうそう会うことはできなかった。

メールを通しての近況は頻繁に知らせあった。

移植が始まってからは、自分のこと、家族への心配だけがおれの頭と心を覆った。

あっという間の1年だった。

まだ入院中だったが、体調がようやく落ち着いた頃に、彼からの久々の電話を受けた。

「仕事でアメリカに出張するけど持っていくものや欲しいものはある?」

「退院も近いし大丈夫、何もないよ。」

「じゃあ帰国したらそっちに行くよ」

「わかった。気をつけて。」

そんな風なたわいない会話だった。

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それから数日。

準無菌室からの退院間際に聞いた知らせは、彼がアメリカで行方不明になっているということだった。

あと3日から4日で退院、そんな日だった。

そのときは「まさかアイツが」という思いで楽観していた。

英語が堪能であり、用心深い一面を持った彼がトラブルに巻き込まれることは考えられなかったからだ。

さらに数日が経過。

退院した後も良い知らせは届かないまま。

「貴重品はホテルに残したまま、いまだ見つからず・・・」

「借りていた車が路上で見つかった・・・」

楽観は日が経つごとに悪い予感へと変わっていた。

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8月。

長期入院の体には夏の暑さが堪え難かった。

何も見つからず、時だけが過ぎていく・・・。

夏の盛り。

うるさいセミの鳴き声をかき消すように、電話のベルが鳴った。

受話器の向こう。

彼の弟からの声。

震えた声。

遺体が見つかったという報せ・・・。

頭が真っ白になった。

そこにあるのは体を押しつぶすほどの空気の重さ。

ただそれだけだった。

受話器を持ちながら、ふと口を出た言葉。

「気を・・・しっかり持って」

それ以外の言葉をしゃべることはできなかった。

何もしてやれなかった自分。

いま考えても、きっとそのときは何も出来なかったのだと思う。

「なぜ?」

あの抗いようのない感情は悔しさから来るものだったのだろうか。

ただ涙が溢れた。

自分でも聞こえるほどの嗚咽。

数年が経過し、事情の少しは見えてきたようだった。

自己を殺めたとのこと。

移植後に初めて渡米した際に発見現場に行った。

そこは彼が愛した海への入り口だった。

胸を締め付けるような想いとは裏腹に、「悪くない死に場所だ」と嘯くような言葉が浮かんだ。

まだ信じたくない自分と信じようとする自分がいた。

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日本に帰ってからも何度か仲間で集まった。

いつのときも彼の話は頻繁に出た。

年に1、2度は、彼の家族に招待されて、まるで同窓会のように楽しい語らいも持っている。

ただ心のどこかで彼の死を認めることができない自分がいた。

彼の家に行っても位牌に手を合わせることができなかった。

あれから数年経ったが、今彼が居てくれればと感じるときがある。

プライベートでも、仕事でも。

さらに年を重ねて、増え出した悩みなどを相談してみたかった。

どれだけ思い募らせても頭脳明晰な彼の答えは、もう聞くことができない。

彼が逝った場所で口を突いた「さよなら」という言葉。

心の底ではこんな言葉は消えてしまえ、とも思っていた。

人生にはきっと納得できないままに通過しなければ行けない道もあるのだ。

ただ思い出はいつまでも心の中に生き続ける。

あの笑顔とともに生き続ける。

彼がいなくなった理由については一生わからないままだろう。

その理由を考え続けることで、彼が俺の心の中にとどまっているのなら、わからないままでいい。

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彼が生まれて34年目の夏。

夏の合間を縫った涼しい日。

彼は今日のような日に生まれたのだろうか。

おれの地元では、先日、雨のために延期された花火大会が開催されている。

世界を包みこんだ暗い夜空には盛大な花火が輝いている。

眩しいほどに光り輝いては、一瞬にして消えていく。

まるで一片(ひとひら)の人生のように輝いては消えていく。

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マルク検査結果(2011年7月20日)

先月6月22日のマルク検査から約一ヶ月。

今日は検査の結果が出る日。

マルクの痛みの恐さが過ぎれば、検査結果へのドキドキがやってくる。

これは同じ白血病患者のみんなが感じることであろう。

リハビリの筋トレや自然でのトレッキング、またスポーツ復帰などで体を作ってきた。

そのおかげか、去年の暮れ頃からすっかり元気になってきて体調を大きく崩すことがなくなった。

先々週は奥日光白根山への登山、

先週は中国出張で忙しく病気のことなど考える暇もなかった。

そして結果がわかる今日、今朝からソワソワモード。

こんな日は顔を洗っても拭くのを忘れたり、歯を2回磨こうとしてしまったりする。

「よくやってるじゃないか、落ち着け自分」

などといい聞かせながら検診の順番待ち。

自分の番号が呼ばれて、担当医(名医M氏)のドアを開けた瞬間・・・

「谷沢さん、結果良好だよ」

良かった〜!と、イスに座る前に、安心して胸をなで下ろしました。

『血液、遺伝子ともに異常なし』

これを分子遺伝学的寛解といい、ポジティブなぼくは『とりあえず完治』と捉えている。

まだまだ治療は続くし、マルク検査も年に1回ペースで行なっていく。

なので今までと変わりはないのだが、5年経過後のマルクでも異常がなかったのは心底嬉しい。

健康に日々を過ごせるというありがたみをただただ実感しています。

みんなにありがとう。

地球にありがとう。

earth_begins

白根山登山や中国出張の撮影日誌などなど、

今後は日々のブログを書いていきますね!!

1826日目のカラダ

sunset,moon,ocean

急な崖をただただ転げ落ちた。

病が発覚した2005年の春、そんな心持ちだった。

2006年、移植治療の日々。

丸1年のほとんどを入院、また通院で過ごした。

blog20110621a

そして2006年6月21日、

念願というより恐怖のほうが大きかった移植手術が始まった。

移植手術はその前後が辛い。

手術までの1週間は放射線治療と抗がん剤の日々。

ドラマなどでは抗がん剤で髪が抜けていく姿などがひとつのポイントとなる。

しかし自分の場合は、吐き気やだるさで抜けていく髪など構っていられなかった。

手術後はGVHDという副作用が止めどもなく襲ってきた。

何度、立とうとしても立てなくて、やっと這い上がったと思えば、ぬかるんだ地面に足をさらわれる。

何もかも嫌になって全てを投げ出したくなる夜も、ただ静かに耐えるしかなかった。

もうこれ以上施しようがないと言われたこともあった。

心がおかしくなるほどに憎み、敵視した病気。

さっさと消えてくれと毎夜祈った。

なぜ俺が・・・などと悔やむ想いもあった。

だが、本当の敵はそんな心の弱音を受け入れてしまう自分だった。

そのことに気付いてから、弱音も涙もすべて我慢することに決めた。

そう思うようになってから、一進一退をつづける病状も、わずかに”進む”ほうへと向いているような気がした。

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そして、今日で5年の歳月が流れた。

まだまだ闘いの日々は続くだろうが、医療的には完治を迎えた日。

自分の体を見返すと、痩せてしまった骨。

一方で運動をできなかったことで付いてしまった無駄な肉。

しかし、たしかに生きている。

移植を「0」とすると「1826日分」の成長を遂げた自分がいる。

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俺はこの病気で何を失い、何を得たのだろうか。

忘れようとしても忘れられない記憶。

いや忘れてはならない記憶だろう。

応援してくれた方々への感謝を心に焼き付けるためにも、

この経験を活かして世の中に役立つ人間になる・・・そのためにも。

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明日からまた普段通りの生活が始まる。

少しだけ新鮮な気持ちとさらなる強い意志を持って、前に進んでいこう。

まだ見えない未来に希望を持って歩いていこう。

すべてに感謝を込めて。

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P.S.

明日はマルク検査。

その結果によって、5年目からの治療方針が決まります。

結果良好でありますように・・・。

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当たれ〜♪

今年のゴールデンウィーク(GW)は、
普段と変わりなくたんたんと仕事をしていました!

「GWニモマケズ」

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

GWの誘惑にも負けず

花粉症にはちょっと負けつつも

肌にやさしいチリ紙に助けられ

一日に2食と決めてどんぶり飯を食い過ぎて

休みの日の仕事の勘定をする

東に結婚する友あれば

メッセージビデオを持って駆けつけ

日本の経済を懸念する人あれば

帰省中の友人と飲みにいく

北から風が強く吹けば

車は黄砂の砂にまみれ

南の国にでも行きたいなと

妄想はすれどやっぱり机に向かう

急に冷えた日は厚着をして

今年の夏はクーラーを控えるぞと意気込み

これで節電はバッチリさと

一人、悦に入る

そういうものに

わたしは・・・

いや、
わたしのゴールデンウィークは
なっていました。

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環境ニモマケズ すくすく育つカイワレちゃん

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花ニモマケズ ポーズを決め込む 近所のマイちゃん

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眠さニモマケズ・・・いや、負けたみたい。

大型連休であろうがなかろうが、
近頃の世の中はいろいろな誘惑があります。

やっぱり人間はコツコツと働いて、
しっかりお金を貯めるのが一番ですね。

堅実にケンジツに・・・

あっ
ぼくの好きな歌が流れてきた!

当たれ〜♪

友の闘いが始まった

青い空には風花が舞っていた。

友人の戦が始まったようだ。

それは晩冬の合間を縫った暖かな日。

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今から411年前に徳川家康が”天下分け目の関ヶ原”に向かう直前、軍議を開いたとされる丘にほど近い場所での決起となった。

この国をなんとかしようと志を掲げ、既存の集団とは無縁の立場での出立。

遥か遠き目的地への旅であり、長く深き闘いへの幕開けでもある。

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その場に立ち会い、ファインダー越しに見る彼の熱気。

おれは撮影という行為の中で、その姿を無感情に切り取っていく。

自分にとって撮影を冷静に進めるためには無感情でいることが大切でもある。

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この決起が内包するものは、人の中にある”静と動”であると感じていた。

普段の友人が醸す落ち着いた風情、そしてこの日に打ち出した凄まじいほどの気配。

日本古来の武芸である「居合」の所作につながるように思えた。

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写真の撮影にも似たような部分がある。

壇上で今の日本の現状に憤り、何が自分にできるのかを強く語る。

彼から発せられる言葉が熱く踊っていた。

会場の熱気がそれに呼応し始める。

シャッターを切る合間のわずかな時、より良き未来を夢想する自分がいることに気がついた。

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いままでも世界を変えてきたのは、”純真さ”が生む力だったはずだ。

純真さ。

それは未熟な感情でありつつも、既存の体質を超越する力強さを持つ。

この1週間は、熱く、激しく燃える彼の姿を至る所で目にするのだろう。

そして、本当の闘いは4月10日から始まるのだ。

闘いの始まりに見る夢は、「今ある世界を変える」というかけがえのない想いの中で育まれていく。

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ということで、

みなさん4月10日は選挙投票に行きましょー!!