SHUTTER CYCLE DIARIES Jun Yazawa Photograpy

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鷹揚に笑う女と大鹿に追われた男。

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カリフォルニアに居住していたころに、時間を作ってはアメリカの自然保護区を旅していた。

アメリカには雄大な自然があふれているが、もはや人間の手で守らなければ、無垢な状態を保てない場所も多い。

そういった守るべき自然を保護区として国立公園化している。

保護するべき自然と保護のための資金。

観光からの資金と環境保全を両立させたアイデアが国立公園なのだろう。

そのアイデアの源となった場所、それがこの写真にあるイエローストーンなのです。

世界で初めての国立公園となった場所。

そこは冬は豪雪、地下には世界最大級のマグマがあり、野生動物があふれる神秘なるパワースポット。

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上記の写真は、草が生い茂る川原にふと現れたエルク(大鹿)。

立派な角に雄々しさが宿ったその姿に見とれ、そこには数人のフォトグラファーと観光客がいた。

とっさにカメラを構えたぼくに、隣にいたおばさんフォトグラファーが話しかけてくれた。

「ちょうど良い時に来たわね。

運が良ければ交尾の瞬間が撮れるかもしれないわ。

あなたの望遠じゃ距離があるから大変でしょう。

この三脚は予備のカメラ用だから使いなさい」

そういって余っていた三脚を貸してくれた。

その間にも観光客たちがどんどん集まってきて、ギャラリーはあっという間に総勢30人ほどに増ていく。

結局、雄鹿と雌鹿は一定の距離を保ちながら、結ばれることなく森の中に消えていった。

おばさんフォトグラファーは、

「恥ずかしかったのかしら。

野生動物の撮影は長い時間が必要なの。

今回はおあずけね」

と笑っていた。

今考えてみれば、助手も連れていたおばさんは、きっと動物専門のカメラマンだったのだろう。

その鷹揚な笑顔は、裏をかえせば動物撮影の厳しさを物語っていた。

カメラを閉まって帰路につく間、ぼくはその日起こったことに考えを巡らせていた。

「この鹿のカップルがことを成したとき、果たしてぼくは感動したのだろうか?」

きっと自分が望むのは、多くの観光客が見守る中で行われた交尾でなく、

人知れずおこなわれる野生の営みのように、想像に満ちた世界のほうではないか、と。

 

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実はこの日の前夜、湖に沈む夕陽を撮影していた時のことだ。

辺りはもう真っ暗になり、駐車場まで1キロほどつづく木道を歩いていた。

もはや観光客はひとりもおらず、その静かな時を楽しんでいた。

そのとき数メートルの闇から怪しい二つの光が動いた。

ぼくはすべての身の毛が逆立った。

その小さな二つの光は、まさしく動物の目の光だったのだ。

まさかクマか!?

暗い闇の中をわずかに動く光。

暗闇に目をこらすと、それはエルクだった。

互いに見つめ合う刹那な時、

こちらをうかがうように姿をあらわしたエルク。

ほっとしたのも束の間、

エルクはこちらに向かってくるではないか!

その距離、数メートル。

間には木道の手すりひとつ。

「ブルルッ」と大きな息を吐き出し、一歩ずつにじり寄る。

威嚇のつもりで、三脚を高々と上げて「ヘイッ」と大声を上げる。

その威嚇に、エルクは完全な戦闘モードに入ってしまった。

荒ぶるエルク。

ひとまず目をそらし、「ハイ、サヨナラ」と素通りしようとしてみる。

エルクが手すりを飛び越えんばかりに向かってきた。

幸いにも木道の手すりは、エルクの足の高さを超えている。

四足のエルクには、その手すりを踏み入ってくることはできなそうだ。

そのまま走って逃げようとしたが、木道の数メートル先には手すりのないエリアが・・・。

そこを走り抜けられるのか?

それとも間欠泉に突き落とされるのか?

駐車場までは300メートルほどの距離。

きっといける!

ちょっと走るそぶりを見せてみる。

ブルルと向きを変え、先回りするようにぼくの行く手に向かうエルク。

こちらが立ち止まると、エルクも動きを止める。

もう一度やってみると、さらにエルクは近寄ってきた。

ダッシュで逃げるしかないが、はたして逃げ切れるのか?

いや、無理だ。

手すりのないエリアが怖すぎる。

奈良の鹿にどつかれたことはあっても、こんな大鹿にどつかれたらただじゃ済まない。

熱湯の間欠泉に落とされて、ハイ サヨナラもあり得る。

一旦、冷静になって考えてみる。

ぼくの命綱は、もはや木道の手すりのみ。

来た方向に目をやると、幸いにも木道の手すりが続いている。

駐車場までは遠くなるが、来た道から逃げるしかなさそうだ。

ひたすら逃げると覚悟を決めて、ぼくは木々が生い茂る反対方向に走り出した。

手すり越しに追ってきたエルク。

もはや振り向かず逃げるのみ。

後ろを見ずにひたすら走る。

木々が生い茂るエリアを抜けた。

走ること数100メートル、撮影していた湖の前に出た。

そこで初めて後ろを振り返る。

エルク、いない。

木々や間欠泉が障壁となって、エルクも追うのを諦めたようだ。

なんとか難事を逃れることができた。

木道の手すりがなければ本当に危なかったと思う。

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その日に撮影していた夕景がこちら。

夕焼けの美しい色彩に時間を忘れて撮影していた。

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そしてこちらが、ぼくを救ってくれた木道(笑)

人には踏み入れられない自然の世界。

自然界に一歩足を踏み込めば、未知なることだらけだと壮大なイエローストーンが教えてくれた。

予想外の台風進路や地震など、神秘に満ちた自然の世界は日々の生活にも溢れている。

自然と歩調を合わせて、ぼくらもまたまっすぐに生きることで、少しずつ理解を深めていけるはず。

“ワイルドライフへの憧れを抱いて生きる楽しさ”を享受しつつ・・・。

 

魂の還る場所、そして目指すべき未来へ。

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これは福島三春町の滝桜。

日本で3本の指には入る有名桜なので、開花時期は観光一色となる。

樹齢1000年を越える歴史のある老桜で、

枝花が滝のように降り注ぐベニシダレザクラは圧巻。

老木なだけにたくさんの柱で枝を支えられて立っている状態でもある。

もはや観光スポットの見世物としての印象も拭えないが、

この補強のおかげか、あの大震災でも倒れなかったのだからすごい。

神木のような桜を守るという土着の文化もあるのだろうが、

この桜に元気付けられた福島県民も多いのだと思う。

その一方で、滝桜を撮影していて、

雑誌コヨーテで読んだハイダ・インディアンの言葉を思い出していた。

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「去年の嵐で南にあったトーテムポールがついに倒れた。

それはよいことなんだよ」

アラスカのハイダ・インディアンの文化では、

祖先の魂やそれを象徴するものが土に還ることは佳いことと考える。

アラスカの各地にあったトーテムポールは、

その多くが文化財保護のために博物館に持ち出されてしまったという。

人知れず森の中に佇むトーテムポールが自然に朽ち果てて、

森に還っていくさまをただしっかりと見守ってあげること。

これこそがハイダに宿る魂の回帰、すなわち自然観なのだろう。

福島の桜とアラスカのトーテムポール。

これらには文化の違い、生き方の大きな違いを感じてしまう。

ぼくたちが生きる数百年のスパンでは、良し悪しを決めることはできないことでもある。

世界規模でさまざまな変化が起きている転換期の今、

ぼくたちが何を選び、何を捨てていくのかということに注目していきたい。

人間を含めて、動植物が目指すべき未来は一体どこなのだろうか。

都会の雑踏や人々の雑音にかき消されないよう、

内なる声を頼りに、その行き先を探してゆこうと思う。

 

Life is a Journey(人生とは旅である)

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Life is a Journey(人生とは旅である)

これはペルーのマチュピチュでの一枚。

天空の城にある石窓に座り、山々を見つめながら、旅日記を書くバックパッカーの姿。

 

日本語には同じ意味合いでもカッコよさが違う言葉がある。

たとえば、「旅行」と「旅」。

「旅行」というと、観光地に行ったり、温泉に入ったり、その土地のお土産を買ったりという、とても観光的な響きになる。

それが「旅」となると、未知なるものへの探求心が芽生えて、何か目的を探すかのような、冒険的な意味合いが強くなる。

カタカナで言っても、「トリップ」というと旅に近く、なんだかちょっとカッコイイ。

一方で「トラベル」というと、どちらかというと旅行に似ていて観光風な雰囲気がただよい始める。

実際の英語では??

「TRAVEL = 旅行する」という動詞なので、旅行は「TRIP」または「JOURNEY」になるとのこと。

さらに「TRIP」は短い旅行で、「JOURNEY」は長い旅行のようなニュアンスがあるという。

となると…英語でいえば「旅行 = トリップ」、「旅 = ジャーニー」と当てはめると心地よい。

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波乗りが趣味のぼくは年に1〜2回はサーフトリップに出る。

日頃のストレスから解放されて、ただただ波乗りを楽しむだけの旅。

波に乗ることが目的なので、もちろん行き先は海沿い。

波が豊富にあり、食事がおいしく、さらに暖かい場所なら言うことなし。

サーフィンだけが目的なので、観光的な要素はほぼない(笑)

最近はラントリップといって、海沿いや美しい景色をみながら走ることを目的とした旅行もあるそうだ。

ランニングシューズやウェアをバッグに詰め込み、「走ること」をテーマに旅先を選ぶ。

普段、都会でランニングを楽しむ人にとっては、このラントリップはとても楽しいものだろう。

下記のようなサイトもあって、こんな旅も楽しそうである。

Run trip Magazine → http://mg.runtrip.jp

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目的は多々あれど、旅をすることで、未知の経験を積み、人々と出会い、新しい景色が開ける。

海外に行くと、時間通りに来ないバスや電車があったり、レンタカーが故障して飛行機に乗り遅れたりと、

普段の生活ではあり得ないようなことが、日常的に起きたりする。

旅で経験する困難も楽しめるようになれば、旅人として一人前なのかもしれない。

旅で出会うひとつひとつのプロセスが、自分の価値を高め、人生は深みを増していく。

トリップ(短い旅)を繰り返すことで、ジャーニー(長い旅)となるのかもしれない。

「Life is a Journey(人生とは旅である)」、

やはり人生とは山あり谷ありで、壮大な旅のようなものである。

 

分かれ道を見つけたら楽しい方を選べばいい

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今回の格言:

分かれ道を見つけたら…楽しそうな方を選べばいい。

 

トール・ヘイエルダールの「コンティキ号探検記」という本がある。

内容は、若き学者が自分の仮説のもと、

ペルーからポリネシアまでの8000kmを古代と同じ作りのイカダで航海するという冒険記。

この本は「コン・ティキ」というタイトルで映画化もされていて、

臨場感のあるアドベンチャームービーとしても楽しめる。

原本は起こる事象を淡々と述べる手法でとても楽観的。

夏休みの児童書にももってこいで、

子どもの頃に描いていた冒険への憧れは、この本によって芽生えたような気がする。

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家族を持った今も、ときどき旅への衝動に駆られる時がある。

もちろんそれは憧れであって、

実際は日々の生活と仕事に追われて、映画などを見て妄想冒険に出発するのみだが…。

そんな現実の中でも、

週末の波乗りやショートトリップはプチ冒険的な気分を味わえる。

“サーフボードを抱えて旅に出る”

一般サーファーのぼくらは、時間とお金という現代社会の呪縛があり、

綿密なスケジュールや計画が必要なのも事実。

限られた時間と抑えるべき旅費。

そうなってくると、旅先では「いかに全てを楽しむか」がポイントになってくる。

旅の開放感は、他では得ることができないほどの充実感をもたらす。

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最近感じるのは、人の生き方はそれぞれだということ。

その考え方は旅先で出会った人の言葉が源になっている。

『年間に2回はサーフトリップに行こうと思っている。

普段は忙しくてサーフィンに行けないから、サーフトリップにはお金をかけるよ。

良い波をお金で買ってると思えば安いよね。

人生に迷ったら楽しいほう、美人なほうを選ぶといいよ

人生は楽しみながらでも生きていけるんだぞ、っていうのを身をもって証明したいね』

ちょっとしたことでも、不謹慎だの、失礼だのと言われてしまう世の中。

そんな言葉で何ごとも自粛してしまう人生ほどつまらないものはない。

家族や大切な人を養いつつも、

最高に楽しい人生を送ることだってできるはずだ。

楽しさを優先したとしても、周りを幸せにして豊かな人生を送ること。

全てを巻き込む勇気とパワーが必要なことかもしれない。

たださまざまな人との出会いから、そういう視点を学んでいる。

そして、そういう人の周りには、やはり同じような人が集まってくる。

どんなことでも、たとえ困難なことでも笑顔でこなしてしまう人々だ。

もちろん自分もそういう人を目指している。

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冒頭に書いたコンティキ号探検記。

トール・ヘイエルダールは、この冒険を成功させるために、

生死をかけた多くの困難とたくさんの美しい景色に触れたことを書き記した。

冒険は成功に終わったものの、結局、彼の仮説は正当性を得られなかった。

しかしイカダでの奇妙な冒険は、後世にも残る偉業として伝えられる。

感動を呼ぶこの旅のプロセスは大成功と言えるだろう。

現代を生きていれば多くの困難もある。

理想の自分に一歩ずつでも近ずくために、

いつも笑顔でおおらかな気持ちで生きていくのが良いと思いますっ!!

 

ロードトリップでみた風景【ペルー編】

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「その場所が人を呼ぶ」そんなことがあるのだろうか?

ある飲み屋で”隣りに座った男”が、

「俺は今ペルーに呼ばれてる気がする・・・」そんな言葉を発した。

腕に鳥のタトゥーをした男の言葉に驚かされた。

折しもペルー出身の友人に誘われて、ペルー行きを考えているところだったからだ。

このタイミングに何かを感じ、おれは即座にペルー行きを決めた。

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ペルー人の友人はプロサーファーで帰省がてらの撮影旅となった。

自分にとってははじめて訪れるペルー。

うつくしい波を求めて、期待をもってペルーの大地を踏んだ。

たくさんの良い波ともめぐりあい、コンテスト撮影など仕事としてのパートもこなしていた。

そんな日々に、ふとした感情がわき起こった。

それは旅立つ前に、飲み屋で”隣りに座った男”の言葉だった。

「俺は今ペルーに呼ばれている気がするんだ。

インカの遺跡やマチュピチュを巡りたい。

時間ができたらいつか旅しようと思っているよ」

海と撮影の日々を過ごす中で、その言葉が胸に飛来した。

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ペルートリップのために2週間ほどの時間をとっていたので、

急遽、インカや文化遺跡をまわる旅へと予定を変更した。

そのことを友人に告げると、不服な顔をされてしまったが、

またいつ来られるか分からない場所、ロードトリップをしなきゃ損!!

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ペルーは南北にとても広い国で、バスでの旅が一般的だった。

まずはペルー南部の古都クスコに向かう。

町から町へとバスを乗り継ぐこと30時間もの長旅だ。

長いバス移動の中で、地元の人や日本からのバックパッカーなど、

いろいろな人がいて、これぞロードトリップの醍醐味を味わう。

そんな旅には普段出会わない楽しい巡り逢いがあったりする。

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インカ帝国、最大の都市クスコ。

光と闇につつまれたうつくしい街。

風景との出会いは、まさにその文化との出会いなのだと実感した。

高度な古代文化は、西欧の新しい文化に駆逐され、

個性を失っていくように、世界の歴史は日夜、塗り替えられている。

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その中でも、人はたくましく生きていく。

そんなことを思いつつ、ペルーの地を旅していた。

素直さを失わずに生きる国民性に、気高きインカの誇りがあったのだろう。

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文化が発展することで色褪せていく、人それぞれの個性。

一方で脈々とつづく人間としてのたくましさ。

インカの大地を旅することで、ぼくは言葉にはできない大きな存在を感じていた。

不確かな人の一生のなかで、頼るべきものを持つ強さ。

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「その場所が人を呼ぶ」

ぼくはこの時、ペルーという土地に呼ばれていたのだろうか。

忙しい日々を過ごす毎日でも、旅した思い出の土地が語りかけてくることがある。

「思いわずらうな、今この瞬間を楽しめ・・・」

日々の仕事があり、養わなければいけない家族をもち、いち社会人として走り出した今、

またこのような旅をするには、相当なエネルギーとパワーが必要となる。

そんな日々のなかでも、旅先で抱いたあの想いを感じられる時間を持つことができる。

「Enjoy the all moment 」(すべての瞬間を楽しむこと)

この言葉が俺の人生のスパイスになっている。

もはや10年前のマチュピチュの一枚、

この写真を見る度にあのとき感じた山風を思い出す。

それは、いつまでも心に自由をもたらす「風の記憶」でもある。