SHUTTER CYCLE DIARIES Jun Yazawa Photograpy

Monthly Archives: 2月 2010

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大阪には♪う〜まいもんが〜いっぱいあるんやでぇ〜♪

今年は寅年ということもあって、

ヒジョーに大阪が熱い!

熱いのなら行っとかねば!ということで、

2010年はしょっちゅう大阪に行っている。

つい先週も行ってきたのだが、やはり食の都だけあって美味いもんが多いのですわ。

東大阪の友人オニシくんの食ツアーは、

獅子座流星群のごとく激ウマなお店を駆け巡ることで知られている。

今回は、テレビなどでも話題になっていた「天ぷら大吉」

もともとは堺の魚市場に天ぷら専門店で深夜から開店、

しかもそんな時間に行列ができるという有名店。

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ここは、なんばシティーにある天ぷら大吉。

この天ぷら屋さんは美味さとエンターテイメントを兼ね備えているのです。

というのも、アサリのみそ汁を頼み、食べた貝殻を床に落とす、

その床を歩けば、もちろん貝殻がつぶれるジャミジャミ音。

その音がまた気持ちいいのです。

おそらく1万年後は、この場所が貝塚として発見されるのでしょうね。

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店内は混んでいて活気に満ちた厨房の景色

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こんなに天ぷらを食べたことはなかった。

野菜にサカナに肉に、とバランスよく食べましたよ。

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この赤いの、何だと思います?

なんと、紅ショウガの天ぷら。

まさに半信半疑、だまされたと思って食べたら、美味い!!

もうイッチョ、とお替わりしちゃいました。

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食べ終わった貝殻を床にそのままポイ!

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このジャミジャミ感がたまらんのですわ。

もう一度言いますが、

おそらく1万年後は、この場所が貝塚として発見されるのでしょうね。

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満腹まんぞくで、なんばシティーをぶらり散歩。

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鬼太郎商店は賑わいを見せていました。

鬼太郎とネコ娘ともうひと方は大の仲良しで・・・ってオニシくんやん!

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階段の注意書きを読んでいたら、つまずきそうになりました。

ひったくりはやめましょう。

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大阪を知るたびに、その深さを思います。

しばらく目が離せなそう。

ほな!

夜空を舞う雪に想い出を・・・

intertwined garbera

気温が安定せず、

春のような日を迎えたり、

また一気に冷え込んだりする季節には、

体調を崩す人が増える。

気温が低くなると身体の末端への血液循環が悪くなり、

心臓が過剰に働いてしまい身体各部に負担を与える。

その結果、心筋梗塞や脳卒中に繋がるらしい。

冬は気をつけなければいかんとですよ、と注意する反面、

地面がどれだけコンクリート化されても、

季節天候によって人が左右されるんだな、と安心する。

そんな日が続いた2月の初めに伯母が逝去した。

伯母も脳出血が原因だった。

ぼくの知る限りでは、

伯母はとても個性的で一般常識などまるで通用しない生き方をしていた。

若い頃の彼女はすれ違う人が振り返るくらいの美人だったとみなが言う。

しかしその頃から相当なワルだったともみなが口を揃えて言う。

たしかに御年70歳を迎えても自由気ままで、端からみてると嵐のような人だった。

思うことをそのまま言い、思うがままに生きていたせいか、

ストレスもなかったようで皺ひとつない顔が逆に死を不自然にさせているほど。

そんな彼女はほとんどの人に敬遠されていたが、

ぼくは子供の頃にかわいがられたイメージが強いので好きなオバチャンだった。

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納棺から葬儀までを自分が写真撮影することになった。

冠婚葬祭には文化的、地方的、また家庭的にもさまざまなルールがあるので難しい分野。

宗教(新興宗教も含め)やさらに宗派によっても変わるのだから、

その場で細かいルールを教わりながらの撮影になったりする。

(ちなみに葬儀場は撮影オーケー、火葬場内は撮影は禁止が一般的のようです。)

garbera in blue

今回は身内、しかもかなり近い身内であったから、

たいした緊張もせず、”集中”と”見送る気持ち”の狭間で撮影した。

写真という記録メディアに近しい故人をガシガシ収めながら、

浄土へ見送るというのは甥っ子冥利に尽きる。

葬儀場を歩き回りながらもっとも美しいアングルを探し、

伯母と自分の残りわずかな接点を結ぶ。

もう相手に意識はないのだが、ぼくにとったら最後の”コミュニケーション”という気持ち。

そこに涙はなかった。

あるのは故人への想い、

誰にでも訪れる死の冷たさ、または温かさ。

あるいは自分の生に対する真率な感情だろうか。

伯母にとったら浄土への道、

自分にとったら浄化の作業。

こういう時を過ごしていると、

世の中のすべてのことが他人事であり、

またすべてのことが自分のことでもあるように思えるのはなぜだろう。

生と死の対極は、

不確かだが、密接に絡み合いながら、

お互いの距離が引き寄せられるようにとても近くにある存在なのかもしれない。

伯母がなくなった夜、

久しぶりに深い雪となった。

きらきらと輝く白い花びらが夜空を、

いつまでも、いつまでも舞っていた。

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